シカゴ→1960年代の青春群像

2018-07-06

 

おはようございます、山田です。

今日は、1960年代のシカゴの青春群像です。

場所は、シカゴにあるダンカンYMCAです。

1962年のことです。

あるキューバ人の若者がいました。

もちろん、キューバに住み、ハバナ大学に通っていました。

セルジオ・オリバという名前で、重量挙げのホープでした。

しかし、彼は、共産主義のキューバが嫌でした。

キューブが嫌で嫌でたまらない彼が、憧れたのは「自由の国」アメリカでした。

ある時、彼は、キューバの重量挙げチームの代表として、遠征することになりました。

そして、必死に脱走、米国に亡命したのです。

キューバでは、ハバナ大学に通っていたインテリのオリバですが、アメリカでは

英語もできない。

英語もできない彼が、米国で得た仕事は、肉屋での肉体労働です。

1日に12時間、14時間の肉体労働。

英語を勉強するために週に4時間は英語学校、土曜日は「教師になるため」の学校。

ハードスケジュールです。

こんなスケジュールでも彼はバーベルが大好き。

休日は、近くの公園にバーベルを運んで重量挙げの練習をしていました。

ある日、オリバが公園で重量挙げの練習に汗を流していると。

一人の賢そうな白人の青年が声をかけてきます。

「素晴らしい強さだ。

それに君の筋肉も素晴らしい!」

オリバは、白人の青年の方に向き直ります。

白人の青年も素晴らしい体格をしています。

「僕は、ボブ・ガイダ。

この近くにあるダンカンYMCAでコーチをしている。

ダンカンYMCAでは、重量挙げを練習する場所もあるよ。」

重量挙げの練習場所を探していたオリバには願ってもない話。

ボブ・ガイダ「オリバ君。

君は、極端に細いウェストと広い肩を持っている。

脚の形も素晴らしい。

ボディビルディングでも素晴らしい成果を出せるよ。」

オリバ「ボディビルディングって何?

僕は、実はキューバからの移民なので、

『ボディビルディング』の意味がわからない。」

共産国のキューバでは、ボディビルディングというものはなかったのです。

ボブ・ガイダ「わかった。

とにかく、明日の日曜日にもダンカンYMCAにおいでよ。

僕のトレーニングパートナーになって、重量挙げを教えてくれ。

僕は、君にボディビルディングを教えるよ。」

ボブ・ガイダとセルジオ・オリバは、公園で偶然に出会った日から、

親友となりました。

彼らの友情は、オリバの死まで続きました。

→ボブ・ガイダは、今も健在です。

2人の写真は、こちらです。

http://www.yamadatoyoharu.com/?page_id=8784

ボブ・ガイダは、スポーツ生理学の学者として身を立てようと学問に

励む青年でした。

また、オリバと出会った23歳の頃、既に結婚していました。

食わんがために学業の傍ら、週に30時間から40時間の労働は、

必須でした。

ガイダの職場は、ダンカンYMCAです。

彼の仕事は、ダンス場等の管理、パーティの主催とかでした。

同時にボディビルダーでもあった彼は、ウェイトルームの再生にも情熱を

注ぎました。

ボブ・ガイダが働き出した頃のウェイトルーム。

ボロボロの牢獄のようだったそうです。

しかし、「情熱の人」だったガイダは、

「よし、ここで革命を起こそう!

イリノイ州の優秀な重量挙げ選手やボデイビルダーが集まってくる場所に

しよう!」

彼は、汚い床を掃除して、ペンキを塗り、器具を補強しました。

さらにポケットマネーでプレートやダンベルも追加、寄せ合わせのガラクタで、

トレーニング器具を作ったりしました。

さらに「ジムエリアをもっと広くしたい!」と考えたガイダは、

柔道場、ボクシングジムエリア、レスリングジムエリア、体操エリアの余分な部分に

重量挙げ、ウェイトトレーニングの器具を置こうと考えました。

考えたら、即、実行。

他のスポーツエリアのリーダーと交渉。

他のスポーツのリーダは、快く場所を提供してくれたのです。

ガイダの努力のおかげで、快適で素晴らしいトレーニング場になってきました。

噂を聞いたいろいろな方たちがジムに戻ってきて、ダンカンYMCAのトレーニング場は、

大盛況になってきました。

YMCAの総支配人は、大喜びです。

ボブ・ガイダという聡明で行動力もある知的な青年が気に入りました。

「君の情熱に打たれた。

できることはすべてやってあげよう!」

ジムをよくするための経費の枠を広げてくれたのです。

また、いろいろな面でガイダを支援してくれるようになったのです。

どんどんと理想のトレーニング場になっていったのです。

オリバと出会ったのは、この頃です。

そして、「アイディアの人」だったボブ・ガイダは、

高名なスポーツ生理学者だったアーサー・スタインハウスのアドバイスを得て、

PHAトレーニングを編み出していました。

これは、サーキットトレーニングの要領で、全身を鍛える4種目から6種目を

休息なしでトレーニングするもの。

体力のあるガイダは、10循環もして、そのグループを4つとか5つも作ったので、

1日に200セットから300セットもこなしていたそうです。

PHAトレーニングは、人体にとって理想的なトレーニングなので、

疲労がたまらない。

だから、これだけのトレーニング量をこなしても

オーバーワークにならないのです。

(セット法で同じ量をこなしたら、病気になってます。)

ガイダとオリバは、「9月から3月の終わりまで」は、

上記のPHAトレーニングで重量挙げの練習をやりました。

オリバは、全米ジュニア大会で2位なったのです!

重量挙げでもPHAトレーニングは成果を出したのです。

「4月から10月」は、ボディビルディングのトレーニング。

1966年のAAUミスターアメリカでは、

ボブ・ガイダが優勝、オリバが準優勝と表彰台を独占しました。

PHAトレーニングは、心肺機能を高めて、健康にも非常に良いだけでなく、

筋肉肥大にも大きな成果があることが証明されたのです。

同年にベルリンで行われたミスターユニバースでは、ガイダが優勝。

写真には、アーノルド・シュワルツェネガーと比較されるガイダの写真があります。

当時、アーノルドは19歳、ガイダがアーノルドを破ったのかもしれません。

(「ゲストだ」という説もある。)

オリバとアーノルドも後年、よきライバルとなりました。

この2人の大活躍で、シカゴでは、ボディビルディングと重量挙げの

大ブームがきたのです。

もちろん、ブームの中心はシカゴのダンカンYMCAです。

重量挙げとボディビルディングの黄金時代だったそうです。

その最初のきっかけは、小さな公園で、オリバとガイダが出会った時です。

青春って、いいですねえ。

オリバは、当時は、英語もわからなくて、食わんがために肉屋で肉体労働、

大変な時代だったのですが。

「思い返してみるとすべてが宝石のような思い出だ。

『俺様の宝石』さ。」

ガイダとオリバの友情は、一生、続きました。

山田豊治

PS.ガイダが開発し、オリバも実践したPHAトレーニングの改良版の

トレーニング、「パーフェクト・マッスル」を日曜日に販売開始予定。

最初は、モニター価格で安いので、ぜひ、買ってください。

こう、ご期待!





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